2007/05/31

うへっ!

うちまで帰れる終電が行っちゃったよ。

フロアで最後だったから、警備員に声かけなきゃならないんだけど、居ねえんだもの。

見回り中だったのかな、今にして思えば。

待ってたら行っちゃったよ。

というわけでネットカフェ難民予備軍の丼です。

ちなみに夕ご飯まだ。


2007/05/27

花園のラグビー場


ラグビースクールの練習グラウンドは、しろつめくさの花盛り。


2007/05/26

深夜徘徊

呑むと深夜に覚醒することが多い。

もう眠れそうにないのでお散歩。酔いが醒めていないのだ。
いま下高井戸のネットカフェにいる。


昨日は業界団体の研究会に参加した。各社から優秀なエンジニアが集まってくるので、報告書は資料が豊富な上、よくまとまっている。プレゼンもスムース。

でも、インパクトに欠けるんだな。
聞いていてワクワクしない。

学者ならばいざ知らず、企業が集まってやっているのだから、机上の空論に終始してしまうのは違うと思う。

具体的に事業化を目指すか、あるいは報告書だけで意味を持つものにしたい。リアリティを持たなきゃね。

大人しくしていたかったのだけど、そうもいかないかな、なんてね^^。

懇親会で芋焼酎少々。
水割りと同じ見た目のストレート(^-^;。


このネットカフェは初めてだ。歩ける距離(といっても3km)にネットカフェがあるのは新発見。結構盛況で今は満席だ。

皆さん散歩かな?そんな訳ないか。


2007/05/25

素直に帰宅したくない症候群


勤め人にとって一番のストレス解消法は途中下車である。定期区間ならば金もかからない。
朝やると面倒なことになるから、帰りがけにやるのが肝要である。当たり前か。

途中下車をやり尽くしてしまうと次なる冒険を渇望するようになる。そう、これは禁断症状を伴い常習性のある危険なストレス解消法なのだ。

会社の前にバス停がある。駅と反対方面なので普段乗車することはないが、表題の状態にある私にはとても魅力的に見えたのだ。

僅か210円で未知の世界に連れていってくれる夢のバス。今日はタイミングよくやってきた。そして私は信号待ちをやめてバスに乗り込んだのだ。

バスは駅を背に海に向かい、廃線跡に沿って進み自動車工場を越える。
私の日常を背に未知に向かい、緊張を溶いて進み退屈を超える。

夢の国は隣りの駅だった。大きくはないが、工場帰りの人で賑わう街。
その昔魚市場があったために、魚介を売りにする店が多いらしい。

魚好きにとっては十分夢の国だ。ちょっと嬉しくなった。
一杯堪能するかとも思ったが、それは別の楽しみ。今日の冒険はこれでいい。

さあうちに帰ろう。
楽しかった。


2007/05/22

聖地へ

日曜の朝は西武電車に乗って是政へ。
多摩川清掃市民運動に参加するのだ。

こちらの資料では中河原の近くにも集合場所があったから、そっちの方が便利かとちょっと思ったが、蝦ちゃんは蝦ちゃんなりの意図があると考える。

さすが。彼の機転で主催者している青年会議所の理事長から話が聞けたのだ。

多摩川クラシコのイベントとして、河原の清掃を行おうとの動きが出てきている。雨に祟られ中止になったが、前回も河原のゴミを拾いながらスタジアムに向かう計画を立てていた。しかし急作りな企画である感はぬぐえず、清掃イベントに参加して運営のノウハウを手に入れようと考えたのだ。

多摩川清掃市民運動は30年以上の歴史があり、理事長はいろいろなレベルで運動を経験しているようだった。目から鱗がぽろぽろ。トングを使ってゴミを拾っただけではわからないままだった。

清掃作業はあっという間に終わり、ちょっとばかり寂しい是政駅に戻る気がせず、南武線南多摩駅に向かってとりあえず川を渡った。

「これから何かあるの?」「別に」

などと道に迷いながら話す男二人の出で立ちは、片方が東京ユニ、もう片方が川崎ユニである。

「絶対怪しいよね、この組み合わせ」「だね」

そうこうしているうちにサッカーが見たくなる。

日産スタジアムは大変縁起の悪いところらしいから却下。多摩陸、武蔵野、駒沢、三ツ沢。どこかでサテライトでもやってないかな・・・といっているうちに、西が丘で横河武蔵野対YKK-APを発見。直ちに足を十条に向ける。

それから着替えることもなく西が丘のメインスタンドへ。ガスと川崎の格好をしている連中は、YKK-AP側の席に座り武蔵野の得点シーンに拍手を送っているのだ。

ゴール裏に目をやる。よくあそこに収まったよな。

いや、よくここまでになったよ。

思えば遠くに来たもんだ、そんな感じ。

退場するとき、私は川サポ仲間と、蝦ちゃんは15年ぶりのバンド仲間との再会を果たした。

世間は狭いのか、類は友を呼ぶのか。





2007/05/20

ジョージ

ビッグアイ

確か去年はイエモツ降臨、今年はジョージ。

何かある。きっとある。


というスポーツマンシップにのっとらない発想が出て来るということは、最近体を動かしていない証拠と言うことで。

ガシッと泳いで反省します。


2007/05/19

なにもかも

昨日の朝、金魚が転覆しているから治療法を探そうとパソコンを立ち上げると、無線LANドライバが死んでやがる。有線で繋ぐと今度は青幕死。

みるみる様子がおかしくなる金魚。なかなか動かないパソコン。コア2デュオの面目丸潰れ、などと言っている場合ではない。

とりあえずバケツに中和剤と塩を溶いて隔離水槽を作り、病魚を放す。そしてエアレーションをして様子を見るしかない。

パソコンの不調は古い富士通に再登場してもらうことにした。

命と機械を同列に見てしまった自分に自己嫌悪。


2007/05/16

初期化

会社のパソコンを立ち上げると個人用設定ファイルを作り直している。これをやられるとブラウザは初期化され、MSオフィスの履歴は消えてしまう。

今回はオフィスのインストールCDを要求されたため、復旧するのに二時間近くかかった。

個人的には昼休みmixiに入れなくなったのが痛い。まあこれは仕方ないか。

「セキュリティーのアップグレード」などと称して、二月に一回ぐらいずつこういうことがある。機器管理チームがリモートで作業するとこうなることが多い。

全社的に見れば損失の方が大きいだろうに。


町一番のレストラン

一頃、北関東の地方都市への出張が多かった。

前日のうちに現地入りしてビジネスホテルに宿泊。午前中に用事を済ませ昼食を取り、しばらく町を探索して会社に戻るというスケジュール。夜の町の様子がわかると、現場が始まってから役に立つことも多いのだ。

出張はちょっとした楽しみ。

温泉があれば浸かってみるし、旨いものがあれば食べてみる。そういう細かい現地情報が大事なのだ…と言って領収書を提出しても、受理された試しがないのだが^^。

旨い店は結構ある。プリンが旨い喫茶店とか、カルボナーラだけは一級品の洋食屋とか…現地の人と話をすると色々出てくる。知られていないが北関東人は案外グルメだ。

洋食は和食よりもカジュアルなものとして捉えられているようだ。改まった席では料亭などが使われることが多い。食の考え方が保守的なこともあるが、料亭に匹敵するステイタスを持つレストランが少ないこともその理由であろう。

それぞれの町に「町一番のレストラン」を作りたい。メニュー開発、基本的な食材の加工及び提供、人材の育成、空間プランニングをセットにしたビジネスモデルは考えられないだろうか。

狙っているのはビジネスホテルのレストラン。モーニングビュッフェの他、稼働していないのではないだろうか。夕食時でも閑散としていることが多く、消灯されていることすら珍しくない。結構立派な厨房を持つホテルでもそうなのだ。これは勿体ない。

先ずは経験のあるシェフを現地に派遣して、地元産品、旬の食材をリサーチ。ホテルのオーナーと協議の上メニュー開発を行う。食材は基本的な加工が済んでいるので、厨房を圧縮することができる。レイアウトを再構成して客席を増やす方向で検討する。人材育成は派遣元になることも考慮するべきだろうか・・・

とまあ、ここまで考えてみた。

出資者が思い当たらないのが致命的な欠点だな。




2007/05/14

行った、見た、勝った!



正直、先制された時はどうなるかと思った。

失点後は漏れもなく、きっちり勝ち点3、ゲット!

好調なだけあって、甲府は強かった。ひとまず安心。


2007/05/13

ふろん太出張中



公式の日記通りふろん太小瀬に見参。

ヴァンくんのスケールがふろん太と似ている。


小瀬到着




既に暑い

日除けが一切ない。

ここで真夏にデーゲームをやったなんて信じられない。


アウェーの洗礼


なんてことないが、これは公立小学校の塀。自治体からここまでの協力を得るのは、なかなか大変だと思う。


身延線




甲府駅に到着。バスは飽きたからJR身延線でスタジアムを目指す。

甲府駅では使えるが、身延線下車時はSuicaが使えない。しまった、いつもの癖で「ピッ」とやっちゃった。

結局初乗り分損して甲斐住吉駅下車。ここからスタジアムまで徒歩45分。


新宿ガンボ西口


これでまた一歩、ガンボがメジャーフードに近付いた。ビバ、ウェンディーズ!

これからもガンガン、ケイジャン料理をリリースしてくれ。


いま新宿西口。甲府行き高速バス乗り場には青黒の人がちらほら。おもわず挨拶をするも、こちらはジーンズに黒のラガーシャツ。怪訝な顔をされる。

小瀬で魂を合わせよう。


2007/05/09

東京駅の屋根

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=208080&media_id=4

戦災で消失した屋根を復旧する際、コストのかかるドーム屋根を「敗戦国には贅沢」としてGHQがストップをかけた経緯がある。そこでできるだけ以前のイメージを残す形を求めて、今のとんがり屋根になったのだ。

確かに屈辱的で好ましからざる歴史かもしれないが、それも含めて歴史なのではないだろうか。

とんがり屋根の時代、日本は奇跡的な復興を遂げた。その復興を支えたのが丸の内に通う人々。屋根の形に屈辱感を覚えた人もいるだろう。でも、それだけじゃない。

ドーム屋根が完成した時、彼らの成果がなくなる訳じゃない。
時代が変わってしまったことに気づくだけだ。


2007/05/02

コウノトリのゆりかご

赤ちゃんポストに相談相次ぐ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=204647&media_id=4

ぎりぎりのところで生命を守る砦であって欲しい。


お母さんは、自分の心をひとつかみ、君に託していたのだよ。
逆なでされるだけでも痛い自分の心を、自ら引きちぎって、君の胸に埋め込んでいった。

だから胸の中のお母さんに、君のことを教えてあげて。


おかゆっておいしいね。
でもミルクも好きだよ。

今日、立ったんだよ。
立つと遠くまでよく見えるんだよ。

友達に噛まれちゃった。
痛くて泣いちゃったけど、
おもちゃをくれたから仲直りしたんだ。


お母さんに話しかけると、胸がほんわかしてくるでしょう。
わかったかな、君にはお母さんがいるんだ。

いつでも一緒なんだよ。
それって結構幸せなことなんだ。