2008/07/31

地球全体が一つの有機的な生命体ならば

■ガイア論と「私」
地球全体が一つの有機的な生命体ならば、ここにいる私は一つの細胞に過ぎない。しかしながら私は一人の独立した人間。自分で考え、行動し、自分の未来を切り開く。もし初めから何かの一部であるならば、私が思考する能力は何のために与えられたのであろうか。

■細胞に意志はあるのか。
細胞死には壊死とアポトーシスがある。壊死とは文字通り外力により壊されて死ぬことであり、アポトーシスとは遺伝子のプログラムによって能動的に選ばれた死だ。オタマジャクシの尾の細胞は成長する際自ら死を選び、個体はカエルに成長することができるのである。

■ヨハネによる福音書・第12章24
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」

麦は一年草だから、一年で自動的に「死ぬ」。人の一生はせいぜい一世紀。残す何かがあれば、死を受け入れることができるのだろうか。受け入れることで、私の死は地球の成長に貢献するアポトーシスとなるのだろうか。


■鮭の稚魚が持つ「さいのう」
鮭の稚魚は「さいのう」と呼ばれる栄養袋を持ち、幼く捕食できない期間を乗りきる。母の胎内で育まれた卵は、それだけの力を蓄えているのだ。
http://www6.ocn.ne.jp/~minehama/gakusyu/2007/kou_umi/sanran2.html

そして地球。地球もまた化石燃料という「さいのう」を持っている。人類が知らなかったことは、それが自ら捕食できるようになるまでの、猶予期間だったことだ。
http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0806/feature03/index.shtml

さて、間に合うかな。


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